電波ソングについて(痛化を避ける手法)

前回に引き続き。

痛化を避ける手法、とか知ったかぶってる感じだけど、僕なりに考えた手法的なことを書いてみた。言ってることは基本的に前回から大きな進展は特にないけど、例を挙げてより詳しくって感じで。このくらいが僕の電波ソング記述の限界かもしれない。それでは以下本文


前の記事では、電波ソングには背景(エロゲ)が大事だってことを書いた。背景というのは主に歌詞に表徴される。もちろんトラックにも現れるとは思うけど(馬鹿っぽいポヨンポヨンみたいな音とか)やはり歌詞、それと歌い方が重要。

そんなわけで、ここからは歌(歌詞)とトラックを分けて考えてみることにして、今回の記事では前者の歌(歌詞)について書いていく。トラックについてはあまり専門的な知識がないし書けないだろうと思う。

それと、今回はエロゲOPなどの商業ベースの曲ではなく、ある程度アーティストが自由に作曲できるであろう「同人音楽」に絞って考えてみる。

とりあえず、「J-pop」とか「電波じゃない同人オリジナル曲」とかは歌詞も重要だけど歌唱力がもっと重要だと思う。対して電波ソングはそもそもバカなことをやるわけだから、歌唱力は必要だろうけど、それより声の質とか変な歌い方とか、そんなのがもっと重要なのかなと。で、バカで意味不明な感じに必然性がなきゃいけないんだろうと。なんというか、必然性というのは背景とか文脈が見えるかどうかということなんだけど。真面目な曲だったらそういうのがなくても成り立つというか、何を以ってして「成り立つ」というのかはうまく言えないけど「痛くなければ」「成り立って」いるという感じ?J-popで多用される「会いたくて会えない」みたいな歌詞とか「ありがとう」な歌詞とかってのは、それに背景・文脈が無いというわけではないと思うんだけど、内容が普遍的すぎて背景を意識することすらないというか。当たり前のことを言っているだけなんだよね。そんな歌詞ではそもそも「痛く」なる訳がない。でも電波ソングはそうはいかなくて、特殊な単語をつなげて狂った歌詞を作らなくてはいけないんだけど、ただ狂った歌詞を作るだけだと「痛い」曲になっちゃうという。そのために背景・文脈が必要になってくる。特に同人のオリジナル電波ソングは、背景の決め手が無いという理由で一つ間違うと痛いだけになっちゃう可能性が高い。


イオシス」なんかも東方シリーズやる前のオリジナルの電波ソングとかとちょっと痛い。ホルモンとかラーメンについての歌だったりする。これは何かの企画という背景があったのかもしれないけど僕にはよく分からない。あと当時(2004年ころ)と今では「電波」という言葉自体の意味が変わってしまっているというのもあるかもしれない。今の「電波」は「意味不明さ」に加えて「萌え」の感覚がセットになっているように思う。当時はそうでのなかったのだろうなと。後追いで聴いているだけなので想像でしかないけど。


電波ソングにとって「萌え」っていうのはやっぱり重要だと思う。同じイオシスの2008年のアルバムで「We are “IOSYS”」っていうのがあって、これにはオリジナルの電波ソングが一曲入っているんだけど、ラーメンについてではなくてヤンデレのロリっぽい女の子が殺しにかかってくるような歌詞の曲。アニメやエロゲのタイアップではないのに、萌え要素の組み合わせで作られた歌詞には東浩紀さんの言うデータベース的な奥行き(=背景、文脈)がある。だからこの曲もまるでどこかのエロゲのOPのように聴こえてしまうor聴くことが出来る。オリジナル曲の痛化を避けるために手っ取り早く萌えキャラのデータベースを利用する、っていう手法。『萌えデータベース利用タイプ』的な。
D「血染めのラブレター/ARM feat. 神波千尋」「We are “IOSYS”」に収録されている電波ソング


イオシスは別のシリーズで「アルバトロシクス」という架空のユニットを立ち上げて活動していて、こちらもオリジナル。さっきの「We are “IOSYS”」みたいなアルバムはざっくばらんな歌詞、曲調の曲が集められたアルバムだけど、「アルバトロシクス」には設定があって、マンボウのような宇宙船にのって旅するお姫様達みたいな感じ、だったと思う。で、背景となる物語自体は歌の中で語られる。変な話なら電波ソングになるし、真面目な話ならもっとかっこいい曲とか静かな曲とかに乗っかる。これも背景というか文脈というか音楽以外の音楽というか、そういうのを厚くしていく手法であって、同時に痛化が避けられている。『物語でっち上げタイプ』とでも言っておこうか。
「Albatrosicks - Strawberry Love Generator」この曲は電波か微妙なとこだけど
他の例では、最近話題のイカ娘のOPを担当している「ULTRA-PRISM」を挙げておきたい。元「UNDER17」の小池雅也さんが作曲しているユニットで、一枚アルバムが出てる。アルバムの企画は正直言って滑っている感じで、つまり痛い状態で、それはPVがガチでやり切れてなかったのと、それに関連して物語のでっち上げが十分でなかったことに原因があると思う。曲としてはすごく良いのに、評価されていないのが勿体無い。そういう意味でイカ娘のOPはアニメに背景を持っているということになるんだけど、言うまでもなく大成功している。
イカ娘OP。すでに出ているULTRA-PRISMのアルバムmixは公式HPで聴ける


もう一つ特殊な例として。このブログでもちょくちょく書いている「ほりっくさーびす」ってサークルがとった手法について。このサークルの2009年のアルバム「エネルギー冷麺 お受験せんそ→☆」には「vocal remix」っていう曲が収録されている。これは今思うとなかなか戦略的な手法であったなと思う。「vocal remix」ってのは一般的な言葉ではないかもしれないけど、それは過去に出した自分たちの曲を別の歌詞、歌手、で録り直して、そのとき前の歌を全部は消さずに、一部そのまま残して新しい歌詞とマッシュアップするって感じ。一曲の中で新旧の歌詞が混じり整合性がとれなくて少し意味不明になっているんだけど、それがむしろ電波度を上げているという。2008年のオリジナルアルバム「ぐみれいんぼっ!」に収録されている「マジカル☆蛙たん」がベースになっている。ボーカルリミックスが収録されているアルバムは全体としては東方アレンジの括りなので、まあリミックス後の曲は東方アレンジの文脈で聴くことになる。東方アレンジとして聴いたとしても多分読みづらいんだろうけど、明らかに裏側に何かが見え隠れしている感があってそれがなんかいい。それは椹木野衣さんが言ってたカットアップ・リミックスの手法って言ってもいいかもしれない。テクノとかブレイクビーツは歌じゃなく(歌もだけど)トラックのリミックスだけど「vocal remix」はトラックはそのままで歌だけリミックスするっていう。下のニコニコの動画は少し荒れている。これは東方アレンジCDなのにオリジナルトラックを入れているからってのが大きいのかな?あとは作曲の省力化についての批判もあるかもしれない。僕は1、2曲こういうのが入ってても全然アリだと思うけどね。『カットアップ・リミックスタイプ』。
「ぐみれいんぼっ!」に収録されているオリジナル曲「マジカル☆蛙たん/KuKuDoDo feat. Gumi」
D「エネルギー冷麺 お受験せんそ→☆」のクロスフェードデモ。一曲目がvocal remix「四文字熟語でレッスンなんです!〜Vocal Remix〜/小宮真央, ゆきまめ, KuKuDoDo feat. Gumi」
ちなみにこのトラックは「ちな」さんが「Summer Memorial Lovestory」、「みりん☆」さんが「雨のプリズム」として別の歌詞で歌ったものもリリースされている。


最後にまたイオシスを例に。一番有名な東方アレンジについ書いておく。ここではもう言わずもがな「東方プロジェクト」のキャラに与えられた膨大な量の設定が曲の背景となり、音楽以外の音楽の大部分を占めることになる。東方アレンジブームの一側面はこんな背景への寄りかかりやすさみたいな理由から来ているように思う。言っちゃあエロゲやアニメのタイアップと構造的には似ている。タイプ分けするとしたら『東方アレンジ』。
「月夜を隠さない程度の能力?/ARM feat.miko」


ところで僕自身エロゲソングや東方アレンジの電波ソングは結構聴いてるほうだと思うけど、エロゲも東方もやらないから、実際しっかりとした背景とかはよく分からない。なんとなーくな感じ。東方のキャラ設定とかもほとんど知らない。ここまで散々知ったように書いてきて言うのもなんだけど。

というかまず東方アレンジリスナーの何割が東方をプレイしたことがあるのか疑問。ほとんどの人が未プレイでアレンジを聴いているんじゃなかろうか。でも僕はそんな状況でも背景というものが変わらず重要だと思っている。例えば僕に入ってくる東方キャラの情報というのは、アレンジされた曲の歌詞から得られるものがすべてであって、イオシスの「月夜を隠さない程度の能力?」を聴くことで霊夢というキャラが貧乏で脇が出たヤラレ役の巫女なんだということを認識し、他のアレンジを聴いてその認識が強化されるという、そんなプロセスで曲の裏にある僕にとっての曲の背景(=東方のキャラの設定資料的な何か)は厚くなっていく。そもそも東方キャラの設定ってファンが勝手に作ってるみたいな感じなんでしょ?詳しくは知らないけど。

つまり何が言いたいかというと、最初の萌えデータベースの話もそうなんだけど、背景はオリジナルである必要はもうないということね。この「オリジナル」というのは二つの意味で、曲を作る過程でも言えるし、聴く過程にも言える。作詞者はわざわざアルバトロシクスみたいな「オリジナル」の設定と物語を作ってもいいんだけど、萌えデータベースを利用してもいいし、東方プロジェクトの設定、物語を拝借してきてもいい。聴き手も、アルバトロシクスや、東方プロジェクトの「オリジナル」の設定を予習してから聴く必要なんてない。ただそうして聴いたときに、曲自体が背景にある物語や文脈を表徴するものになっていなければ痛い曲に聴こえてしまうのかもしれない、ということ。イマイチうまく言えてないかな。感覚的な部分もあるかもしれないんだけど、歌を聴いて、その歌詞自体は意味不明なんだけど、確実に裏になにか緻密な設定があるんだな、みたいな事を思わせるもの。そういう曲には、設定自体が必ずしもはっきり見えていなくても魅力を感じるのかなと。そしてむしろはっきり見えないことが電波的な魅力を増すことにもつながるんじゃないかと。


前回の記事の「おとなり日記」で取り上げられていた方の記事。
Future Rocket Coaster「アニソンに惹かれる人間。」
こういうのを読むと、今回の話は電波ソングだけじゃなくてアニソン全般にも言えることなのかもしれないなと思う。でもその中でも電波ソングはよりハードコアな部類に入るんだろうと思う。

mossya