美少女絵に対する思いを書きます!

これはピクシブの自己紹介欄に書いていた文章です。書いたのは2年前くらいになるかと思います。当初はピクシブ一長い自己紹介を目指していましたが、俗人的な考えでもっとフォロアーを増やしたいと思い、このようなヤバい人だと思われそうな自己紹介文は取り下げ、こちらにて供養することにします。以下本文


美少女絵に対する思いを書きます!


 アニメとかエロマンガとかを見ていてもそうですが、絵を描いていると、より自分の属性とか、フェチを感じる部分とかシチュエーションなんかが明らかになってくるような気がして面白いですね。

 まだ僕の絵は技術的にも雰囲気的にも個性のようなものが確立されているとは思いませんが、欲望に忠実な絵を描き続けることが後々絵の個性を獲得するうえでは重要なのだろうなと思います。

 他の人の絵を見るのも、そういう意味でも面白いです。

 最近スゲえなあ〜と思っている作家はモチ先生です。ロリ躯体とキチガイじみたセリフに定評のある作家さんです。僕がロリコンではないということは絵を描き始めてより明確に意識されてきているわけですが、モチ先生の絵はそういう次元を超えて素晴らしいなと思います。インタビューなんかを読んでも、非常に研究熱心さが伝わってきて尊敬しています。

 モチ先生の単行本「死なずの姫君」は先に書いた欲望に忠実/誠実な絵を描き続けた軌跡のようなものだと思います。というのは、自身もあとがきで書かれているように、死なずの姫君は一続きの物語にも関わらず、連載のたびにキャラデザがどんどん変わっているんですね。その理由が単に自分の性的嗜好が連載中に変遷しているからだ、と。連載を続けるうちに絵が上手くなるとかデザインが簡素化するとかはよく聞く話ですが、同一キャラのおっぱいの大きさが変わるとか、羽がついてる位置が変わるとか、そういう変化でさえも、欲望に忠実であれば作品に反映させる。絵の上達に関して僕が信じているこのブレない(絵柄的にはブレるけど)スタンスが明確に提示されているという意味で、バイブルのような頼もしさを感じる作品です。

 エロマンガは二次系コンテンツのなかで、一番自身の性欲(欲望)表現に特化したジャンルだと思います。エロゲは一人では作れないけど、エロマンガはそれができる。イラストでもいいんですけどね。出来れば僕はエロマンガが描きたいです。でもエロマンガは難しい。コマ割りとか技術的な面はもちろんですが、エロマンガを描こうとすると一日中エロい妄想に費やさなくてはいけなくなる。休日にそれをやると水曜くらいまでエロい妄想が後を引いて現実世界が辛いです。

 そういう意味でイラストは僕のなかではエロ漫画の表紙のような認識です。描けない本編のコンセプトビジュアルというか。

 なんだか偉そうなことを書いて、なおかつ僕自身恥ずかしながら自分の絵を見てはめちゃくちゃブヒってるわけですが、実際大した評価を受けていないんですよね。それは脳内のブヒブヒな欲望を絵で表現しきれていないということなんだと思います。モチ先生みたいなレベルでの欲望に忠実云々はある程度の脳内の表現力が伴っていることが前提なんだろうと思います。

 思えば、絵を描き始めてすぐは首から上しか描く気が起きませんでした。描く必要性も特に感じませんでした。顔だけで満足。でもほかの人の作品を見ると、大抵全身を描いている。不思議に思いました。でも描いていると、顔だけでは物足りなくなってきて体も描くようになりました。それは多少脳みそが鍛えられた為かな〜と思います。顔だけで限界だった想像力が体まで及ぶようになったのでは、と。想像力が及べば及んだ部分までは表現したいと自然に思うようになるのだと思います。今は同じことが背景を描くかどうか、というレベルで反復されています。背景はみんな描いてたり描いてなかったりですね。でもやっぱりいい絵は描いてある。精進あるのみだな〜と感じます。

追記1

以前快楽天の作家さんが、同じ快楽天の別の作家さんの絵をトレスしたとして2chで批判されていたようですが、これははたしてそこまで批判されることなのか?と思います。多くのエロ漫画(快楽天は特に)は例えば音楽でいうとジャンクなクラブミュージックのようなものだと思います。踊れる音楽が正義であり、抜ける漫画が正義だという考えです。椹木野衣のシミュレーショニズムを持ち出すまでもなく、こういった考えのもとでは、作品のオリジナリティやクオリティ自体は殆どどうでもよくなってしまう。

普通に考えて、20ページ前後で出会いからセックスまでを描く、みたいなエロ漫画の様式に読者が飽きないはずがないと思います。それでも飽きずに(若干飽きていたとしても)読めるのは、エロ漫画が抜くという動物的な快楽を手玉に取ったコンテンツだからと言わざるをえません。

もちろんクオリティやオリジナリティを全部否定しているわけではないです。上記の様式の中で新しい構図や絵柄、セリフ、シチュエーションを開発していく作家さんは偉大だと思います。単行本買いたくなります。しかしながら、例えばアヘ顔表現なんかは誰かが開発した表現なのだろうけど、沢山の人にパクられてより洗練された(抜ける)表現になっているわけじゃないですか。エロ漫画界はそういうパクリパクラレな生態系のようなものを生みやすい構造になっているんだと思うんですよね。同じ雑誌の中でならなおさら。快楽天とホットミルクではまた生態系が違っていてそれが面白い、みたいな、まあそこまでは、あまりないかもですが。


以上です。
mossya