空気が機能をもつ時代!&siameseらしき人へのレスポンス@mossya

新型インフルってどうなったん、終息した?
何だかよく分からないものに対抗するためによく分からないものを買って研究室に置いておいたのだけど効果があったのかどうかもよく分からない。風邪ひいたし。二酸化塩素を発生させてウイルスとかのタンパク質をやっつけるみたいなものらしい。鼻を近づけると多少塩素臭いけど離れるとほとんど臭わなかった。胡散臭いですが本当に撃退できてたなら結構画期的。

あと似たようなのでは最近CMで見たやつ、虫除けのスプレーというかなんというか、“お部屋の4角にチュッとするだけで蚊に刺されない空間を作るスプレー!”だそうで、効果は8時間持続。
あとこれはちょっと違うかもだけどモスキート音。若者にしか聞こえない高周波の音を発生させて深夜にたむろする若者を撃退するというもの。最近足立区の公園に設置されて話題になったやつ。

空気の状態に関して、私たちが認知できるものは温度、湿度、におい、振動(音として感じられる範囲)、対流、あとは微妙だけど酸素とか二酸化炭素の濃度とか?くらいかなと思う。そう考えると、気付かないだけで私たちの周りの空気には実はいろんなものが溶け込んでいて、居心地がいい空間が出来ていたりその逆だったり…みたいな想像は難しくない。一時期流行ったマイナスイオンとかも胡散臭いけど存在自体がないわけではないので人間に影響があるかどうかはともかく何かに影響はしているかもしれない。
あったらいい空気。
例えば!吸うだけでおなかいっぱいになる空気とか、吸うと気持ちよくなる空気とか、それはもうあるかもしれないけどそんないろんな空気が開発されていってもおかしくない。

空気の話は置いといて、上の商品とか装置を見て思うのは、身の周りには“認知できないけど決定的に違う質”みたいなものが結構あるの“かも”ということ。あっても気付かないのだから分からない。ここからはちょっと↓の記事のコメント欄とも繋がるようなことなのかもしれないと思って書く。確かアニメのげんしけんだったかな、非オタには秋葉原が単なる電気街にしか見えないみたいな意味のことを言ってた気がするんだけど、それも似たようなことなのかもしれない。非オタクはオタク的な空気の質、というかそういった店に目や意識がいかないという。これはあるあるって思ったんだけど。普通の電気街(電気街って秋葉原くらいしか知らないけど)と秋葉原は明らかに違う質を持っているにもかかわらず、その質を認知できる人とそうでない人がいるということ。趣味というか人種というか、完全に心理的な要因によるフィルタリング。

上の話を踏まえてsiamese(おそらくw)の米に対するレスをすると、まずたぶん↓で書いた“酷いもの”はそこらじゅうにあるのだと思う。酷いものに限らずかっこいいものも綺麗なものもかわいいものもそこらじゅうにある。だから当たり前だけど“その時点では酷いものはマイナーではない”。でもそれを酷いものだと思うか、他のたくさんのものとなんら変わらないものの一つだと思うかは人それぞれということになる。そこで結局マジョリティとマイノリティが出来るのだと思う。それはつまり事後的な分類であって、確かに人と違うから好きって価値観もあるかもしれないけど、それは好みについての大したウエイトを占めていない気がする。あるいは初めは人と違うから好き、だったものがいつしか人とか関係なく好きになってたり。
まあそれはともかく、マジョリティのなかで面白い面白い言ってたものが、あるとき突然異文化横断みたいなことになっちゃうのも面白いのかなと思った。つまり上の例を応用すると、秋葉原の看板が初めは大人しかったのにどんどん自重しなくなっていってさすがにアウアウって感じでついにはマスコミに採り上げられちゃうみたいな。異文化横断したもの(アウアウ看板)に対するマジョリティ(マスコミ)の反応は、マイノリティ(オタク)の反応とは根本的に異なるけれども、そこには何かしらの強い反応、感情が生まれるのだと思う。これは必ずしも否定的な感情ではないと思うし、マジョリティからみてもすげえって思うものもあると思う。
もうちょっと書くと、濱野智史さんがアーキテクチャの生態系という本で携帯小説の恋空について批評しているんだけど。まず恋空というのは、近代文学的(マジョリティって言っても良いかもしれないけど)の基準で評価するならばゴミ小説、そして同じウェブ上が拠点という意味で多少近いところにいるかに思えた2ちゃんねらーからも全く評価されなかった小説だと思う。濱野さんはここでそんな恋空を評価しているんだけど、その評価の仕方は明らかに携帯小説の読者とは異なっている。携帯の操作ログを追っていくようにして楽しもう!みたいな事を書いていたけれども本人も書いているとおり携帯小説の読者はそんなことを気にして読んでいるとは思えない。しかし私たちからしてみれば操作ログを追っていく読み方というのは新鮮で面白いと感じてしまう。ここで濱野さんがすごいのは、ごく一部のコミュニティ(といってもかなりでかいと思うけど)でしか評価されていなかった物を他の価値観を持つ人も楽しめるように、無理やり別の面白い読み方を見つけて、見出して、提示したという点だと思う。無理やりとか言うと怒られるかもしれないけどそんな感じがしたし、さっきも書いたとおり何に何を見出すかですべて変わってしまうのだから、極論すれば何だって面白いし何だってつまらない。
いやいやこれを言いたかったんじゃなくて、長々と書いて言いたかったのは、異文化のものに触れるときはどうせなら否定的に見るのではなく自分が面白いと思うように解釈して面白さを自分から見出すようにして見ていったほうがいいだろうという単純なこと。下のコメントでは島が大きくなっていって地続きになればいいとか書いたけど、やっぱりそうではなくて、島は島であって、そこに遠くの島から物だけが漂着してくるような状況が一番面白いのかもしれない。