声フェチについてとアイドル声優とかについて

久しぶりに記事らしい記事を書いた。声フェチについてとアイドル声優とかについて。

何においても似たようなものを沢山摂取しているとそれに対する感覚が肥えてくるっていうのは実感としてある。目も耳も舌も。人間の発達心理学とか、そういう専門的なことはわからないけど、これはいつもすごいなあと思っている。ハードはそのままなのにソフトウェアのアップデートで感覚世界が驚くほど精細になるという感じで。またこれは慣れというのとも違う。慣れは感覚を鈍麻させる方向にむかうけれど、肥えるというのとは全く逆の作用のようである。

最近いわゆる声フェチという性癖が極まってきている。声フェチというのはまあ声優の誰誰の声が好きとか、そういう話なんだけど、もっと言えば単に音フェチであって、声のその意味属性を排除したディテールとか即物(音)的なものへ向かう嗜好というか。これはたとえば田村ゆかりが「おにいちゃん」という時の“ち”から“ゃ”を経由して“ん”へ至る発声のゲシュタルトが崩壊した刹那に感じる奇跡のことだよね。

車で放送大学のラジオが流れていればたまに聞くんだけど、このあいだ聞いてたら家族についての社会学の講義を、おそらく四十代後半程度であろう落ち着いたおばさん講師がおこなっていた。内容もそれなりに興味深かったんだけど、何より声に萌えてしまって新しい放送大学の魅力を感じてしまったというか。落ち着いたお姉さん声というのはかなりツボなんだけど、ディテールという点から言うとリップノイズとか息継ぎの音っていうのがまた素晴らしかった。意識して聞くと、息継ぎの音というのもきれいな人とそうでもない人がいるようだ。声優さんは訓練してこういった音を出さないようにするらしいけど、その方針は間違っているといわざるを得ない。この間mixを作らせてもらったココさんの歌声っていうのも、このリップノイズと息継ぎの音が大きな個性であり魅力になっていると思う。普段の会話だとこういうディテールまで意識がいきにくいんだけど、ラジオとかだとすごくよくわかる。音楽もクラブとかで聴くよりヘッドホンで聴いたほうがディテールまで意識的に聴けるんだよね。音響的な理由もあるけど、むしろ聴覚以外のノイズが無いというのもひとつだと思う。

講義の内容についても書いておくと、あまり憶えてないんだけど、面白かったのは婚前の女性の性交渉に関わる意識の変化について。最近のアイドル声優のスキャンダルというか、それに対する一部の基地外じみた反応に恐ろしさを感じていたところだったので、わりと興味深く聞けた。その人いわく、多くの文化圏で女性の婚前の性交渉というのは否定的に見られているけれど、その傾向はだんだん薄れてきているということだった。日本においては1980年ころから、社会的な許容がなされてきたらしい。それ以前はそもそものタブーに近いものとして、問題自体が顕在化してこなかったと。1980年というのは、山口百恵の引退と、松田聖子のデビューの年だそうだ。僕はその辺生まれていないのでピンとこないのだけど、松田聖子の存在とか言動が性に対する社会的な価値観に影響を与えた、あるいは逆に社会が松田聖子的な女性像を求めた、ということらしい。

この話でいくと、今アイドルやら声優に熱狂している男性というのは少なくとも1980年以降を経験してきているわけで、僕の実感からいってもアイドル全般に清純さのようなものは始めから感じないんだけど、実際スキャンダルに発狂してCDを割ったりしているのを見ると、ネタなのかマジなのかわからないようなところがあるにせよ、その心理が謎だし恐ろしい人間がいるものだなと思う。

今思い出したんだけど、親が小学校のバザーでミニモニだかプッチモニのCDを大量に買ってきたことがあって、このせいで僕はかなり恥ずかしい思いをした。まあ田舎の小さな小学校のバザーなんでゴミのようなものしか置いてないわけで、それでも保護者は何かしら買っていかなくちゃいけない雰囲気があったのだろうと思う。それでもジャンケンぴょんとかいうCDを何枚も買って帰り、もっしゃ君のお父さんが全部かってってくれたよ!(ニヤニヤ)とか言われるために次の日学校に行く僕の身にもなってほしかった。

まあそんなエピソードはいいとして、今はAKBの楽曲を大の大人が聴いていてもそれほど恥ずかしくない時代になった。世の中にはアイドルオタ気質とアニオタ気質の男性がいると思うけど、僕の印象では前者は肉食であり後者は草食的な性格をしている。でも昨今のアイドルやアニメのメジャー化だったりアイドル声優等両者のクロスオーバー的なモデルによって、それを受容する人間の価値観も雑多になっているように思う。

よく萌えアニメにはまっている人間を萌え豚などと呼んだりするけど、まあかくいう私もって感じだけど、これは本当に的確な表現で、この手のビジネスは畜産業に近いように思う。いまは短期的なコスパを上げるために品種の違う豚を同じ小屋で飼育しているようなもので、餌も雑多な状態なので、管理が行き届いていない。アイドル声優のスキャンダルで事務所の管理能力不足が指摘されているけれど、この管理というのは声優という言い方は悪いけど餌の管理不足でありかつ豚の管理不足でもあるのだと思う。まあ表現上の豚であるし人間の精神衛生の管理までを畜産家である事務所やらプロデューサーに任せっきりというのはどうかと思うけど、実際そうしないと、声優さんがかわいそうだと思う。その点AKBのプロデューサーは徹底的な勝ち残りシステムによってアイドルというリソースを厳選+管理していて、全くの不条理なく、お金を持っているファンからは多くお金を出してもらって、お金のないファンにもそれなりのサービスを行っているように見える。つんくさんと志倉千代丸さんが秋葉原でアイドル育成カフェなるものを計画中ということだけど、これは規模のわりに管理のコストが結構かかるというか、かけずに出来たとしてもそれはかなりマズイ感じになっちゃうのではないかと思う。

そんな感じで。僕はアイドルに対してはそんなによく分からないのであれなんだけど、アイドル声優というコンセプトは一刻も早くオワコン化すべきだと思っている。声優は声と演技力だけで評価されるべきで、見た目やら性格は先の話で言うノイズでしかないと思う。そして何より現状管理の行き届いていない環境で危険な人間に関わるリスクをアイドル声優は負っているし、それによって声優活動ができなくなるとすれば単純にその魅力的な声のリソースを業界として失うことになる。

声フェチの話だけ書こうかと思ってたらいろいろ気持ち悪い文章を無駄に書き連ねてしまった。

最後に、AKBのアニメがコケて声優の声自体の魅力というものに対する再評価がなされることを切に願うものである。

mossya