時間軸と感覚@たなか

FARMというリンクがいつの間にかあって(知っていたけど
その先に一つブログがあって(知っていたけど
そのブログを読んでみた(よく読んでるけど

読み返してみた。
映画と静止画っていうか動画と静止画っていうか。
なんか物語とかストーリーとかよく分からないので
読ませて意見を言わせていただくこと自体大変恐縮なんですが・・・

媒体っていうのがまあ雑誌とか写真集とかまあそういうのだからあれだけど、ていうか建築とかデザインとかそういうのあれでホントよく分からないからあれだけど。

すなわち人間がいかに常習的に視覚に頼りすぎているかってことを問いたいんだ。俺は(本当は夜中にこんなこと書いてる場合じゃないんだけどなwwwwww)。五感で一番失いたくないものは?ってきかれたら即答。視覚。次に聴覚。五感っていうそれ自体がなんなの?っていう話。本能(寺)に語りかけるっていう雰囲気は五感そのものじゃないし、そういうことが求めることもしばしば。じゃあその本能っていうのはなんなのかっていう。
そんなことはどうでも言い訳で。聴覚と視覚に限った話をなさるのはよろしいのですが。建築を味覚で感じるって言うのも乙な話ではないですか?あるのか無いのか知らんけども。建築に限ったことではなくて。人間が一番恐れているもの、というか求めているものっていうか。二分化されるのではないかと思うのだけれども。慣れっていう感情?性質?にちょっと気付かされたのです。その部路具を読んで。時間軸を考える以上、慣れっていうものが必然的についてきます。多分。視覚も聴覚も味覚も嗅覚も触覚も。物語があっても変化があっても、ストーリを用意していても慣れっていうものが。じゃあ何が求められるかっていうとソフトなんだと思います。知らんけど。いや、もうこの時点で自分が何を言っているのか分からんけど。たとえば観覧車とコーヒーカップの違い。同じ回るでもたてで回るのと横に回る。そうではない。一つの回転の中に二つの回転があるのがコーヒーカップ。まあ軸を考えると観覧車もそうなんだけど。観覧車は慣れ、っていうか飽きるけど、コーヒーカップはそれ以上の感覚になる。っていうのが考え。いやになる。時間軸を捉えて、(個々の)時間軸をなぞる様なストーリは映画としてはいいと思う。でもそれ以上のことができるのが写真っていうか静止画。もっといえば映画を断片的に繋げた長編のドラマ(映画)てきな?よくわからんけど。まあなんにでも言えるけど超越するって言うことがいいとは限らんけど、個性を求めるならそこだと思う。まあ本能>五感=時間っていう感覚的な捉え方をしてしまった自分がいるので反省します。ごめんなさい。もう思うがままに文章をどんどん書いていってごめんなさい。頭から指の先まで自然と流れて行ったもんで、脳から画面までのoutputがものっそいスピードだったんであれとかそれとかいっぱい使って改行とかなにそれ、おいしいの?状態でした。
最終的に思ったことは
視覚と聴覚なんぼのもんじゃい。
時間軸をなぞると慣れが発生する。
五感を軸にして時間をパラメータとして6次元で考える。
脳→超越→時間→感覚っていうこと。

もうしらん。ぬるぽ。ガッ!