『魔法少女リリカルなのは』における身体と無限書庫の空間性について(の続きではない)@mossya

本つながりでもう一つ。

SDLと赤祭(どちらも卒業設計の展覧会)を見てきて、本をテーマにした案は多かったし、目立っていたように思う。

例えば良くある案として、本を読むための環境はいろんな性質であったほうがいい、いろんなところで本が読みたい、陽だまりで、ベッドで、お風呂で!
だからこの建築は本に囲まれて好きなところで本が読めるようにしました的な。

このような案は個人的にも結構魅力的に見えてしまうのですが、少し考えたのが、本ってわがままなんだな、ということです。

本を読んでいる間というのは基本的には本をめくることと文字を目でなぞることくらいしかしないわけですが、読者は一つの場所でそのような単純な行為を平気で数時間も続けるわけです。本がそれを強いるわけです。

PCのディスプレイが付いている前では本を読むのに集中できない、と友人が言っていました。私もテレビがついてたり音楽がかかってたりするとページが進まないことがあります。個人的には電車の中が結構読みやすいです。人も多いしうるさいし揺れたりしているにも関わらず、です。これは不思議です。視覚や聴覚にではない第六感によって読書に適した場所を選定しているかのようです。w
いずれにせよ本を読むのに適した環境というのが多少の個人差はあれど存在するように思います。だから先のような設計案も出てくるわけで。

一方、例えばPSPでもDSでも何でもいいんですが、携帯ゲームをやりたいと思う空間、あるいはこんな環境ではやりたくないな、という空間はあるんでしょうか。私が思うに、PSPが出来ない環境というは、大抵他人の目が気になるというか、ここでやっちゃいけないだろjkwみたいな場所に限られるようにおもいます。テレビがついてても電車の中でも屋外でも、どこでやっても同じ、みたいな。

PSP(をやっている自分)は少なくとも本(を読んでいる自分)に比べればいろいろな環境を許容する、というかいろいろな環境と無関係でいられる、ような気がします。
まあ私はPSP持ってないんですどw

見方を変えると、本は読者に対して環境を要求するが、PSPはプレイヤーに環境を要求しない。といえるのではないでしょうか…
こんな感じで、本ってわがままだなー、と思ったわけです。

もちろん、基本的にどんなところでも本読めるよ!って人はたぶん結構いると思いますし、快適な部屋じゃないとPSPはできないって人も多いと思いますが、あくまで個人的に、こんな傾向があるかもなぁって感じで書いてます。

もしPSPが環境を要求するというならば、本に囲まれた、本を読むためだけに作られた建築が卒業設計で高い評価を得ているように、UMDに囲まれた、PSPをやるためだけに作られた建築が卒業設計で評価されても全くおかしくないと思います!