大西麻貴+百田有希のパブリック・スペースプロジェクト見てきた@mossya

 そむさんとトカトントンと仙台行ったついでに東京経由して東京都現代とかGYLEとか見てきた。本当の用事についてはまた別のときにトカトン辺りが書くと思うので、とりあえず東京都現代で見た大西麻貴+百田有希さんの作品について。
 失礼かもしれないと思いつつ書くけど「形態は機能を含む」というか、「機能は形態に従う」と表現してもいいようなものだった。始めに形ありき。だからなんとなく建築家が作ったものというよりは、デザイナー的?な人が作ったものに近い印象。ここで言ってるのは、佐藤可士和とかそういう系ではなくて、たとえばファイナルファンタジーとかゲームの中で出てくる建物を作ってる人。まさにファンタジー
 具象的(現実的)なものをファンタジー!で丸め込んで抽象的(非現実的)形態を作っているというか。建築家だってこういう作り方してもいいじゃん、みたいな自由?あるいは開き直り?を感じて、これはある意味私たちフォロワーにとっての希望でもあると思う。
 それはそうと、中庭にあったフォリーの精度とか構造から来る切羽詰まった感というか必死さはには何だか小っ恥ずかしさを感じてしまう。必ずしも悪い意味ではなく。実際は、上の白いのは何点かで下の灰色のに乗っかっているんだけど、その間には透明のアクリルか何かが挟まれてる。これは本当は浮いていてほしいものを浮いているように見せるために採った方法だと思うけど、それにしては結構目立っていたし、あまりに安易というかゴリ押しな感が否めない。多分こういうところに必死さとか切羽詰まった感みたいなものを感じてしまうのだと思う。まあこれに変わる方法を提示せよと言われてもパッと思いつかないし、この必死な感じをある程度狙ってやっているのかも知れないしよく分からない。他のプロジェクトについては今回初めて模型を見てすごく綺麗だと思った。実際見るとどうなのかは分からないけど、これらも必死な感じになってたらそれはそれでファンタジー
 考えてみれば、例えばドラクエの家の中って柱とかないし現実的には明らかにおかしい建物なんだけどゲームの中では違和感ないよね。それと同じで模型とかドローイングではそういう微妙な違和感は感じ取りにくいのかもしれない。これは以前磯崎さんが、PCで設計すると実際の重さを感じずにやっちゃうからチンプンカンプンな物が出来上っちゃうみたいなことを言ってたけど、それに近いのかな。北京の鳥の巣とかも近づくと必死な感じを受けるのかもしれないw
 この必死な感、切羽詰った感に近い感覚としてあるのが緊張感とか身動きの取れなさみたいなものだと思うけど、例えば谷口吉生さんの建築にはそういう雰囲気を感じる(これも模型をみただけでは分からないだろうと思う)。どちらも嫌いではないというか好きだけど、前者はカジュアルで後者はすごくフォーマル。
 いずれにしても、模型とか絵で表現できない質が現実にはあって、模型や絵と現物のズレがない(小さい)建築は多分つまらないのではないか、というのを安易にも今回の日記の結論にして寝る。