転換期のデザインについて。マッキントッシュと青木淳の建築の比較を通して@mossya

ご無沙汰です。今回も長いので暇なときにどうぞ。はじめはマッキントッシュ青木淳さんの建築の類似性について書こうと思ってたんだけど、いろいろ話しが広がっちゃって散漫になっちゃった感がある。まあそれなりに考えて書いたので読んでくだしあ。それでは以下本文。

C・R・マッキントッシュというパソコンでもパチンコ台でもなく建築家について。1900年前後に活躍したグラスゴーの建築家。家具とかインテリアのほうがむしろ有名な感じなので、どっちかって言うとイロモノみたいに扱われてる気がするけど個人的には好きな建築家の一人。イロモノというか異色な感じ。

基本的な時代背景などについては建築史の授業で習ったことの受け売りなのでアレだけど、復習も兼ねて、ちょっと調べつつ書きたいと思う。

1900年頃っていうのは結構歴史が大きく転換した時期で、いま近代建築っていうと大体この頃から1940年代、戦後の辺りまでの建築物をいうと思う。なので授業のカリキュラムとしても西洋建築史っていうのが19世紀のはじめ頃までで、近代建築史って言ったら19世紀の終わり頃から、って感じだった。その境目のあたりで建築に大きな影響を与えたのが産業革命で、手工業的な技術から工業技術への変化がヨーロッパで起こったと。

鉄の加工技術の向上が建築においては一つの大きなポイントになっていて、1851年ロンドン万博のクリスタルパレスは早い時期の鉄骨造建物として有名。余談だけどクリスタルパレスは鉄骨造っていってもボールト屋根の所は木造だったってどっかで聞いたような気がするけどネットで調べてもよくわからんかった。ジョセフパクストンっていう庭園技師が設計したんだけど、木造だとしたらまあ、そのへんが技術者だなーと。いい意味で。建築家的な思考だったら全部鉄骨でやっちゃうと思うんだよね。パクストンは少しでも合理的な構造とか施工性を目指して木を使ったんだと思う。多分。
1 クリスタルパレス(1851)

19世紀後半には、過剰な工業化に対する反動みたいなものも起こってくるわけだけど、素材とか技術に対する妄信性を一度賢者モードで見直す的な運動が始まる。アーツアンドクラフツからドイツ工作連盟といったあたりの流れで手工業技術と工業技術の再考がなされて、一言でいうとアーツアンドクラフツは手工業万歳!なわけだけど、ドイツ工作連盟はやっぱどっちもいいとこ取りでいきましょうみたいな。

このへんの時代の感覚って現代でも似たようなところがあると思う。コンピュータ上での建物のシミュレーションで、形態的なことは相当自由になったけど、自由になっちゃったからこそ悩むみたいな。なんというかモノの形だけじゃなくそれを作る以前のところも考えなくちゃいけない。似てるって書いたけど現代ではアーツアンドクラフツみたいな職人的技術だったり懐古的な思想はある程度リスペクトされはすれどその程度で、新しい技術に対してはアーツアンドクラフツは初めからすっとばしてドイツ工作連盟的なマインドで考えてるよね。避けがたく技術を受け入れて考える。でも藤森照信さんの建築がいま評価されてるのは、アーツアンドクラフツ的な思想もある程度需要があるってことなのかもしれない。同列では語れないけど。逆にドイツ工作連盟的な現代建築の代表作は仙台メディアテークだと思う。過去のイメージっていうのは言わずもがな20世紀初頭に開発されたコルビュジエのドミノシステムで、現代の新しい技術として鉄骨の加工や施工の精度だったり、熱環境的な部分の制御だったりが加わることで仙台はできてると思う。ドミノシステムでは積層されたスラブこそが重要であって、その間の柱と階段は消極的な意味合いしか持たなかった。それを仙台では柱を透け透けのチューブにして、その中にエレベーターを入れ込んじゃうことで、スラブ間の消極的な要素を全部排除してしまっていると考えることができる。ドミノシステムを最もピュアな形で踏襲しながら現代的な技術と今っぽい(チューブとか)想像力でもう一度練り直しました、みたいな。あと石上純也さんの神奈川工科大学の工房もそういう文脈で語れるよね。ミース的なユニバーサルスペースを下敷きにしながら、現代的な技術で柱のあり方を再考している。ここで評価したいのはやっぱり転換期ならではの“面白さ”だよね。ドイツ工作連盟的な。だからデッサウのバウハウスみたいな革新性がそこにあるのか、といったら微妙だと思う。
2 ドミノ・システム(1914)
3 仙台メディアテーク(2001)

いずれにせよ大きな技術的な転換期にあっては今も昔も変わらず、古い技術と新しい技術を横断してつなぎ合わせていくための想像力ってのが必要になってくるんだろう。

構造に使えるような鉄の加工技術は19世紀後半からのシカゴの摩天楼を生む要因にもなってるわけだけど、初期の高層建築ってのが転換期的にむしろ面白いなって思うんだよね。ミースのレイクショアドライブとかよりも。レイクショアドライブは“新しい”よね。革新的。初期の高層建築はヨーロッパの建物の三層構成を踏襲していて、つまり基壇、胴部、頂部みたいな層で形が区切られている。その建物を高層化するときにシカゴの建築家はどういうデザインをしたのかというと、基壇と頂部はそのままで胴部を高さ分だけ反復して引き伸ばすというなんともデジタル的な発想で建物をデザインしたんだよね。でその後ミースは過去の三層構成から脱却して今現在多く立ち並んでるようなミニマルな箱としての高層建築を確立する。
4 ギャランティ・ビル(1895) シカゴじゃなくニューヨークだけど。設計はルイス・サリバンとダンクマール・アドラー

で、さっき書いた反復して引き伸ばす発想っていうのは産業革命以前には多分生じえなかったもので、高層建築自体エレベーターが無ければ存在できないという側面もあった。交通に関しては鉄道が発達したけど、列車の構成というのも先頭車両と、2両目以降の反復と引き伸ばしというかたちがとられている。リトグラフなんかも出てきて、まさにベンヤミンがいう複製技術の時代だよね。で、これらは純粋に工業化がもたらした技術を使って作られたものなんだけど、その時代にあって反復と引き伸ばしっていうイメージだけを抽出してデザインに落とし込んだ建築家にマッキントッシュがいるんじゃないかなと。

マッキントッシュはアールヌボーとかの文脈でくくられることが多いと思うんだけど、大陸から海を挟んだスコットランドという土地柄なのか、明らかに主流のデザインからは外れている。オルタとかギマールみたいににょろにょろしてない。で、反復と引き伸ばしについてなんだけど、マッキントッシュの建築とか家具とかを見ればそれは一目瞭然でとくに説明するまでも無いと思う。代表作のグラスゴー美術学校を雑誌などで見ると、キメ写真的なのは大抵吹きぬけ部分の柱や照明の垂直線を強調したショットになっている。有名なハイバックチェアも、背もたれがムダに引き伸ばされている。これらは技術的にはアーツアンドクラフツやそれ以前からある技術で多分作れちゃうんだけど、発想は複製時代的なものを反映しているといえる。彼が描いた水彩画が本に載ってたんだけど、これはかなりコンセプチュアルだよね。
5 グラスゴー美術学校(1909)
6 hill house 1 (1904)
7 ラ・リュ・デュ・ソレイユ

同じ頃活躍した画家のグスタフ・クリムトも、反復と引き伸ばしのイメージをもっていたように思う。余談だけどアニメのソラノオトとかエルフェンリートのOPは彼の絵のオマージュになってたりして、同じ時代のアルフォンス・ミュシャなんかと並んでこの辺の画家は日本の二次絵にも影響を与えてるように思う。そんな理由もあってクリムト好きなんだけど、っていうかアールヌボー的なものは全体的に結構好きなんだけどまあ今回は関係ないので書かない。人物画もそうだけどクリムトの絵で特に反復と引き伸ばしを感じるのは林の中を描いた風景画。そこでは異様に高く設定された地平線と、ひょろっとしたブナの幹だけが反復して描かれている。さきの神奈川工科大の工房の写真と見比べてみても、イメージの共通性が感じられる。
8 ブナの森Ⅰ(1902)
9 神奈川工科大学KAIT工房(2008) 

こういう反復と引き伸ばしのイメージっていうのが、産業革命以降の機械化とか複製技術の流れに起因するものなんじゃないか、ってのはさっき書いたけど、これは2000年前後の状況に当てはめて考えても結構しっくりくるように思う。1900年前後、建築は技術の反映がすこし遅いから産業革命からはずれこむわけだけど、その頃の建築はアナログとはいえ2000年前後にも通ずるようなデジタル的な想像力が後ろ盾としてあったんじゃないか。当の2000年前後は本格的に設計のデジタル化が進んで、図面内のコピーアンドペーストは当たり前だし、図形編集ツールで線を引き伸ばしたりプロポーションを歪めたりということが簡単に出来るようになった。解析に掛かるコストも少なく済むようになり、変な形も作れるようになった。まあ結局それをリアルに施工して立ち上げなくちゃいけないんだけどね。例えばザハ・ハディッドの建築とプロダクトの間の決定的な落差は“目地”にあると思うんだけど、家具なんかのプロダクトでは消せる目地が建築ではまだ消せないっていう。ザハあたりを100年前の文脈で語るなら表現主義ってことになるのかな。

それはおいといて、1900年前後の反復と引き伸ばしのデジタル感覚を抽象的に表現した建築家がマッキントッシュだったとすると、2000年前後でこのような抽象化をやってるのは青木淳さんを始めとして永山祐子さんや中村竜治さんたちだと思う。その中でも特にルイ・ヴィトンなどのブランド建築の分野において顕著。モアレのような現象的な効果を用いた彼らの建築は、技術的にはそんなに最先端のことはやってない。多分。(中村竜治さんについてはこの前の記事で少し書いたけど、技術的な部分も少しははいってくるかな?)ガラスに模様をプリントしたり、レースの素材を使ったり。しかしそういった素材を重ねたり反復させたりすることによって、今までに無かった不思議な見え方をするように作られている。これはPCのディスプレイ上で画像を見たときに、画像のドットとディスプレイのドットの間のズレがモアレが発生させているような見え方で、イメージ的にはアニメの電脳コイルで電脳世界のドットが荒れちゃってる感じにも見える。
10 ルイヴィトン名古屋(1999)

これはオプアート的な見え方といってもいいと思うけど、オプアートという文脈でみてもマッキントッシュと青木さんらの作品には共通点がある。もっとも1900年頃にはオプアートという言葉は無かったわけだけど、マッキントッシュは78,Derngateの客用寝室においてオプアート的なインテリアを作っている。ストライプのイメージはイタリアの教会建築などにも見られるものだけど、このようにピッチを細かく設定した錯乱系のストライプは過去にあまり無いんじゃないかと思う。彼の作品としては後期のものであって、その頃には建築の仕事も無かったようだから、ちょっといかれちゃってたのかもしれないけど、オプアートがでてくるのが1960年代だからすごいよね。でもけっして彼の表現から逸脱しているという感じではなくて、やっぱり反復と引き伸ばしのイメージの延長にあるという印象。青木さんらの作品はここから一回りして進化してる感じ。動的で立体的なオプアート的手法に向かっている。そういえば神奈川のやつも中に入るとランダムな扁平柱が変な見え方をするらしい。ぼくは見たことないんだけど。これはかなり動的で立体的だよね。
11 78,Derngateの客用寝室(1919)の復元

結論。1900年ころのアーツアンドクラフツ、ドイツ工作連盟、シカゴ派、表現主義といった、技術的に転換期にあった時期の建築観は、100年経ってまた似たような転換期を迎える2000年前後において繰り返されているのではないか。そんな中で転換していく新しい技術をイメージとして捉えながら、その技術に執着するわけでもなく、過去のボキャブラリーを練り直していくことによって新しい建築表現を試みているのが、マッキントッシュであり、青木淳さんらであるように思う。そしてデッサウのバウハウス校舎に相当するような革新的な建築が、現代ではまだ見えていないように思える。

そんな感じで。最後まで読んだ人乙。ツッコミお待ちしてます。


写真かりました
1 wikipedia
2 http://www.fondationlecorbusier.fr/
3 http://www.toyo-ito.co.jp/
4 wikipedia
5 http://homepage2.nifty.com/aquarian/
6 http://www.cassina-ixc.com/
7 あとでかく
8 http://blog.goo.ne.jp/papillonlon
9 http://www.archiforum.jp/
10 http://rempei.web.infoseek.co.jp/photo/kiji/029lvnagoya.html
11 あとでかく