設計の進め方について

いやーなんか愚痴っぽくなるだろうし、一応匿名のブログであるとはいえちょっとポジション的にまずい気がしてあまり書きたくない話ではあるんだけど、結構なアハ体験でかつ今後の為にもっと深く考える必要があることだなあと思うので書いておく。仕事の話なんだけど。

いま先輩が受け持ってる住宅の計画を手伝ってるんだけど、その進め方がなんとも言えなくて、こっちが平面と断面の簡単な図面を書いて送ると、お施主さんがそれを要望のコメントつきで改変して送ってくるんだよね。1ヶ月に一度くらいづつ。僕が知りうるのはここ2回くらいのやり取りなんだけど、4往復くらいはしているようで。文通みたいな感じ。普通の進め方っていうのがイマイチ分からないんだけど、これはちょっとおかしいよね。はじめの頃に打ち合わせをして、そのあとは月1の文通だからね。でまあ僕はここ2回くらいしか知らないって書いたけど、前回から今回でまたありえないくらいの大々的な変更が送られてきて。そのお施主さんは建築を学んだ人ではないんだけど、図面というか間取り図を毎回描いてくるんだよね。1ヶ月の間にあーでもないこーでもないとすごい真剣に考えてるんだろうと思う。でも変な階段のつき方とかをしていたりするので、こちらはそういったところをリファインした案と、要望を踏まえた代案を適宜送り返すという流れのようで。でまあ全く僕が言えた事じゃないけど先輩も経験が浅いので、お施主さんにもそんな強く言えないという。要望がちぐはぐだったり毎回変わるというのはまあ考えていけば仕方の無いことかもしれないんだけど、間取り図まで描いてくるお施主さんにはどう対処したらいいのだろう。

と、こういう状況を目の当たりにしてまず思い出されるのは、大学で幾度と無く聞いた(聞かされた?)遠藤先生のスタンスで、端的に言えば建築家の考える信念をひたすらお施主さんに訴えるというやりかた。作るほうはやっぱり安く作りたいし、基本的にはあまりいい意味ではない機能主義的な考えかたを持っている。そこに建築家はちょっと待ってください、と。建築ってただの箱じゃないんですよ、と。

このやり方は建築家にとってはものすごいエネルギーというか精神力が必要なやり方で、啓蒙思想的なところがあると思う。そもそも建築を作るということは自分の思想を利用者に提示することであるし、時には強要することにすらなる行為だと思うので、こういった信念の訴えかけ、悪く言えば押し付けは否応無く生じる。信念とかいう大層なものまでいかなくても、たとえば窓の開き方をどうするとか、下駄箱にふたをつけるか、つけないか、みたいな些細なことでも設計者の意図に利用者の行動は従えられることになってしまう。

遠藤先生スタイルというのは施主が建築家に絶対的な信用と思想の共有なり受け入れをしているときに最高の設計が出来るというものだと思う。そう考えると、今回のような設計の進め方は、そもそも間取りとか描かせちゃうような流れに持っていくのがいけないのかもしれない。もっとメタなコミュニケーションというか、いわゆる信頼関係を確固とのものとしたほうが結果的にお施主さんにとってもいいものが出来上がるように思う。

一方ではこういった建築行為が持つ信念の押し付けがましさというのを悪役に仕立てあげ、逆に「お客様と一緒に作り上げます」、という名目を掲げつつも結局それが市場が求める一般解とさして変わらないものにしかなりえないという状況はなかなか残念なものがある。特定の人物や企業を指して言っているのではなくあくまで個人的な印象ね。そしてうちの会社もどっかにこんなことを書いてた気がするな。

でまあこの辺は大学にいた頃から変わらない考えなんだけど、先のお施主さんとの文通を見ていてなるほどそういうことか、と思ったのが藤村龍至さんの超線形プロセスについて。

あれは結局今回のような施主とのやり取りの、一歩進んで二歩下がる的な状況を避ける為の方法論なんだなと。ただ藤村さんのいう批判的工学主義が成り立つ社会の前提は利益の面で一日でも早く竣工したいという施主とか社会の絶対的な要求があるというものだけど、今回の場合は個人の住宅だしそうでもない。超線形プロセスを批判するわけではないけど、このようにお金はないけどまあ時間はあるよ、みたいな状況では必ずしも有効な方法ではないように思う。なぜなら施主の要望はありえないくらい変わるし、実際それって当然じゃん?一生に一度の大きな買い物だし、考えれば考えるほど、「前は吹き抜けが欲しかったけど、やっぱりいらないかな」とか「いっそ二世帯住宅にしたいな」みたいなのって出てくると思うんだよね。お施主さんの思考/嗜好はコロコロ変わって当然だと思うわけよ。超線形プロセスはこのような変更にも対応しうるものだと思うけど、ログをとってそれを蓄積させている分、お施主さんからすればあそこはやっぱり…っていうのが言い出しづらい空気になっちゃうんじゃないかと。魚拓のjpgを常にちらつかせてる感じで。なんというか非常に論理的に相手を打ち負かすっつうと言いすぎだけど、弁論術みたなものだと思う。

まあイマイチ結論っぽいことも書けないんだけど。僕が住宅を受け持つことが出来るようなったらやっぱりお施主さんに間取り図描かせることだけは避けたいなという。そして出来るだけ要望もそのメタな部分というか例えば「靴箱がほしい」ではなく「靴を仕舞いたい」というような解釈の仕方を徹底して限られた時間でも価値観とか信念の共有を行っていきたい。希望として。お施主さんによってケースバイケースな感じではあると思うけど。そして一番重要なコミュ力をなんとかしたい^p^

昨日の夜スカイプでGI氏、tsutsutsuruta、yamanと前回の写真の話とかしてて、この記事の内容とも関係する話題も出てうはーって感じだったんだけどまあまた今度書くかも書かないかも。

あああと初めにポジション的にまずい気がするとか書いたけどあれだよね、最近あったアディダスの店員がツイッターで客を中傷して炎上したやつ。あのひとは会社を辞めさせられたんだろうか。今回の記事は別に誰も中傷してないしある程度一般化して言えることしか書いてないから大丈夫だと思うんだけど、まあお客さんとか仕事関係のことを書くのってなんか気が引けるよね。完全に感謝するとか褒めるとか勉強になりました!的な内容でもない限り。この記事が社会常識的に言ってアリなのか無しなのかよくわかんないけど炎上しちゃったらもうお手上げだからこわいよね。

mossya