生物建築舎の作品が面白い

ikimono architects: static quarry http://t.co/Ux2vSus via @designboom

この間ツイッターで上のリンクが流れてきて、実物は見てないんだけどその写真と図面を見て思ったこと書く。

綺麗に接合されたスチレンボードで出来ているような建築。生物という名前とは正反対に思える滅菌された砂漠のような。ボイドや開口部なんかには森山邸や藤本壮介のハウスNのような“かわいい”建築に似た印象を受けるけれど、それらとも少し違う、“かっこいい”建築。窓が割られて躯体だけが残っている廃墟には勝手に草木が生えるけれど、この建築の中庭には支柱に括られて綺麗に管理された(されざるをえない)竹が植わっている。ホントに砂漠のように張り詰めた感じ。…だがしかし。

SANAAの建築がロリババアだとすればこっちはメンヘラ気味のサブカル女子を彷彿とさせる。僕はロリババアという言葉を批判的に使っているわけではないというのは以前の記事で書いたけど、サブカル女子という言葉も同様どちらかといえばいい意味で使っている。彼女らのハードウェアーはサカナ君的な意味で言うと首から下げられたオーバースペックの一眼レフだけど、その内部に収められた写真にはスイーツと紙一重の女の子性が秘められている。

上に挙げた藤本荘介のHouse N(白い四角い穴がいっぱい開いてるやつ)なんかは、ロリババアまでいかない程度にかわいい建築だと思うんだけど、それは開口の開け方などに(意図的かどうかは別にして)どこかどんくささを残しているというか、有機的でランダムな、おおらかなイメージが与えられているからだと思う。逆にこの生物建築舎の建築のハードの部分は幾何学的で構成的、禁欲的、決定的、男性的、といった“かっこいい”言葉で規定されるような美学に基づいて作られているように思える。似たような長方形のの開口を使っていても、位置やプロポーションがかなりキチッと整理されている。

でもより近景の内部写真を見ると、そのハードの中に小さな鉢植えやら、よく分からん本やら小さめの椅子やらがちょこちょこ置かれているという。このソフトの部分、空間的にはボイド、デッドスペース(機能が決めかねられたスペースといってもいいかもしれない、)で表現される女の子的な生活感、かわいらしさ、それはサブカル女子が潜在的に持っているスイーツ性が露呈してしまう瞬間に似ていて、非常に魅力的に見える。んじゃないかな〜。ロリババアは全身全霊をかけてかわいさを表現する分、ある意味誠実だけど、サブカル女子は少しひねくれている。

まあそういう感じで男性が住むにしてもサブカル女子的な価値観を持った人じゃ無きゃ住みこなせないだろうなと。すごい現代的というか、まさに今だから建つ、みたいな現在性?を持った面白い建築だと思った。


mossya