地方の美術館にありがちな不具合は何が原因か

今回の記事は会話形式。ツイッターでのやり取りをまとめてみた。ツイッターのやり取りをまとめる専用のサイトもあるけど、こっちにコピペで書いたほうが読みやすいしいいかなと思って。美術館(主に地方の)の不具合について。


以下の会話は、Siameseが職場の飲み会つらかったーだか、だるかったーだか言ってて、田中がそんなもんだよみたいに返してて、僕もそういうのやばいなー就職先ないけど、みたいに返信したところから始まります。
ツイッター上でのイメージ(笑)
siamese(以下S)たなか(以下T)mossya(以下M)

S「 俺が何とかなっててそっちが何とかならないことはないと思う。ただ酔いが回って口数多くなったあたりで持論の展開をしないかがこわい。今日も美術館の建築に対して批判の向きが強かったから結構強く反論した気がして今になってガクブル。」「もし施工に関わるときがくるなら覚えていた方がいいかもしれない。まず美術館は収蔵の機能も兼ね備えているので各土地の風土に合わせた空調管理などを考えなければいけないらしい結露がひどくて冬は閉鎖してたり吹き抜けのせいで時期によってはそこに蓋をしてるとか。」「あと美術一般に興味があるならいいけど展示物オンリーに関心がある人に対しては意匠に凝った建物は不便性が強くて客が入りづらいみたいなこと言ってた。なので施主の意向を十二分に確認しないとあとで地元の批判が強くなるからマジどうにかしろ、という話です。」「自分は一切の学習を放棄してたのでもしかしたらその辺も既にきちんと学んでるかもしれんけどまあ一応」

M「 まあ結露とかは最低限のことだな。あとは結果的に市民に好かれる建築じゃなきゃ存続がきびしいみたいなのも正論だよね。でもその辺は使いにくい建物だって愛されてたりするわけで、運営側の努力も必要だと思うわ。」「なんかブログに書きたいような内容になってくるけど、作品と建築と、あとはキュレーションが大事だと思うんだよね。この間東京都現代美術館いったんだけど、キュレーションがすごい上手かったのね。展示方法とかそういうの。」「地方の美術館ってその辺の力抜きすぎじゃね、って思う。貼り紙がダサかったりw」

S「そもそも地元のが安藤忠雄設計でそういう状況になってるから同僚の人は有名無名関わらず近代建築をあんま信用してないっぽいね。俺も似たような論調で管理側の不備を訴えたような気がするんだけど水掛け論だったわ」

T「ソフトに何かしら(努力とか運動とか)を求めないほうがいい気がする。ソフトが求めるハードを作るのが技術者だと。ハードの拡張性が、今の消費者が求めることじゃないかな。キカクカ・イッパンカ・キョウツウカ・カクチョウ…産業革命じゃないけど…」「今の消費者の考えがおかしいんだよね、多分。それこそ、お客様は神様的な考えが浸透しすぎて暴走してる。だから今はソフト側に求めるんじゃなくて、新しいハード(価値観)を産み出すような運動から入るしかないんじゃないかね。他力本願すぎるんだよ、消費者が。」

M「ソフトだけでがんばれとは言わないけどね。例えば安藤さんの建築だったらそれ自体が芸術的価値(運営者からしたら(笑)が付いちゃうのかもしれないけど)があるわけじゃん。そこは生かそうぜ、っていう」

S「状況によりけりだけどいま言ってるのは田舎の人間がネームバリューに頼ったために起こるソフト側の問題が大きいかも。学芸員を建て始めてから集めてたらしいし美術に詳しくない担当者の、有名だからって理由でイエスマンになった結果起こったことかなと思った」「mossyaと若干かぶったかな」

M「田中の主張とも重なるよね。運営する側すら消費者化しちゃってるっていう」

S「言われてみれば確かに。景観に関する条例だけじゃなくてもうちょい細かい建築そのものの綱要があれば助かるのだけれど。保存学とかやってる人がその辺まとめててくれればな、というのもハードへの丸投げですかね。」

T「商業建築(っていうのかな?)の場合はそれ自体、生産・供給者であり、建築家からみたらクライアント・消費者だから難しいな 」

M「このやり取りあとでブログにまとめるわ」

S「個人住宅なみに打ち合わせ重ねれば美術館だって問題が起こること滅多にないんだろうけど、都会と違って自治体が芸術面に予算も時間も大して入れないからたいへんですよね」

T「個人住宅ですらひどいものだよ今の消費者は…。まぁ昔を知らんがね 笑」「現状日本人は与えられたものに非をぶつけちゃうもんなんじゃないの?田舎の美術館なんかは逆に、安藤さんのネームバリューだけつけて、まったく(建築的には)面白味のない箱としての美術館にするのもありだったんじゃないかな。知識人や専門家には皮肉的だと思われるだろうけど。」

S「展示スペースとにかく大きくとって動線と品の管理だけ考えた四角い箱にすりゃいいじゃん、てのが意見の一つみたい」

T「結局その程度なんでしょ?建築家の名前借りたいだけなんじゃん。って思っちゃう。それでウダウダ言うのが今の消費者。完全に丸投げ。」「まぁ建築なんてのはひとつしかなくて、そこに膨大なエネルギーがつぎ込まれるんだから。いつの時代も打ち合わせを怠る関係者が悪いね。」「久々に火病ったぜ`*´次の長野の美術館の設計はで決まりニダ(`-´)」

M「安藤さんのネームバリューだけつけて、<それは無理な注文でしょw 安藤さんの建築はハコであり芸術なのですよ!!! でも日本は西洋と違って建築を芸術として捉えない傾向が根深くあるだろうな。それも一つの問題かもね」

T「 やっぱ無理?ww皮肉的にやってみるのは無理なのかな。皮肉のメッセージを読まれなかったら芸術家としてはアウトだろうけど笑」

S「安易だけど芸術に関しては価値観の違いで片づけるしかないところもやっぱあるのかしら。関心ない人からすれば意味のない柱(笑)意味のない空間(笑)etc.だものね。自分だってわけわからん物しか飾ってないけど建物はかっこいい、みたいなとこあるわけですし」

T「まぁ中の展示品が間違いなく温湿度管理されてれば、逆に言えば箱はどうでもいいんでしょ?学芸員さん役所さんからしたら笑」「やっぱグダグダになるなぁ…もっと簡潔に答えを導けるようにならねば。」

S「まあそうやって管理側の意見をなおざりにするのもまずいかもね。お互い大事にするものが違うのだからそのあたり造るときはちゃんと擦り合わせしないといけない、かな」「結局ここで拙い持論展開をしてしまった。無学がばれてしまう」

T「FAキター88888888888。> お互い大事にするものが違うのだからそのあたり造るときはちゃんと擦り合わせしないといけない、かな」

S「晒し上げは明日見返して死にたくなるのでやめてください><なんか言い方が某「人生、かな」に似てるし」

M「大丈夫、ブログで晒しますよ^^」


以上、引用終わり・・・
ツイッターでこういう真面目なやり取りが続くのって滅多に無いから、普通に楽しかった。
実際かなり難しい問題だと思うけど、田中が言うような「まぁ建築なんてのはひとつしかなくて、そこに膨大なエネルギーがつぎ込まれるんだから。いつの時代も打ち合わせを怠る関係者が悪いね。」とかsiameseの「お互い大事にするものが違うのだからそのあたり造るときはちゃんと擦り合わせしないといけない」っつうのは完全に同意だな。まあ擦り合わせっていうのは妥協しあうってんではなくて高めあっていくみたいなニュアンスだよね。
わが街前橋でも美術館構想があるらしく、これは旧ウォーク館っていう中心市街地の建物のリノベーションがメインになって、そこが基点となって中心市街地に点在型のアート施設を展開していこうというものらしい。リノベメインという構想自体が今までにあまりない形だし面白いと思う。ただ現状市民がそこまで乗り気だとは思えない。やっぱり市民に対しても建築・アートに関する啓蒙っていうとアレだけど、それによって街をよくしていこうみたいな「メタ啓蒙」的な活動が、早い段階からなされていくことが重要だと思う。手遅れになる前にw
そんな感じで。

mossya