オプ・アートとスケールについて

オプ・アートはスケールが超大事。一般的な絵画なんかも画集で見るのと実物見るのでは当然違ってくるんだろうけど、それはスケールもそうだけどそれ以上に微妙な絵の具の立体感だとか素材感みたいなものが重要だからと思う。

オプ・アートに関してはスケールさえあってれば印刷したものであっても本物とほぼ同じ価値を持つものになりえると思う。特に白黒のストライプの作品なんかは。スケールと言うか密度かな。作品に対峙したときの、それとの間の距離に応じたストライプの密度が重要。あまり密になると、遠くから見たとき間隔がつぶれて全体としてはグレーに見えてしまうし、逆に密度が薄くなりすぎるとオプティカルな効果が生じにくくなってしまう。もちろんストライプの密度だけでチカチカした見えは生じてこないけど、前提として密度、あるいはスケールが重要だってことね。

↑は左からブリジット・ライリー「流れ」(1964)、クワヤマ・タダスキー「A-101」(1964)、ヴィクトル・ヴァザルリ「リウ=キウA」(1955)

スケールが重要とか言ってて画像貼るのもあれだけど。一応人付きで3つ同スケールでならべてみた。拡大して見てね。この3つは実際印刷して壁に貼ってみた。感想としては、タダスキーのは一番密度が高いけど遠くから見ると線がつぶれてグレーの円に見えてくる。対してライリーのは黒の線が若干白の幅より細くなっていてうねりの感じもあって遠くからでもチカチカ効果は強い。ヴァザルリのは近くで見るとそうでもないけど、遠くから見るとそれなりに。ヴァザルリのはこの二つと並べるのはどうかと思ったけど。

スケールに関しては上でも出てきたオプ・アートの代表的な作家であるブリジット・ライリーも言及している。多少ポエティックに。

「反復構造は、十分に二元的機能を果たすように、頻度と彩度を精確に調節されねばならない。それによるリズムとコントラストは、一方で、知覚の内部分裂が口をあけるような強度をもつべきであり、他方、容量と造形との凝集力は、解放されるエネルギーの無駄なロスを防ぐに充分な持続性をもたなければならない。それゆえ、スケールは、作品の死活にかかわる重要な問題なのである。」
ロバート・クディエルカ「現れ出ることにほかならない」『ブリジットライリー展1959年から1978年までの作品』東京国立近代美術館、1980年

まあこういうのって建築にも言えることで、そこにオプティカルなイリュージョンが生じるかどうかは別にしても、サイトスペシフィック的な考え方で表面の素材、例えば板のピッチなんかを決めていく必要があるように思う。ここの壁面は遠くからしか見えないからピッチは広めにとっておこう、みたいな。

逆にどんな距離どんな角度からでも見られうる表面に関しては、目との間の相対的な位置関係に対する見えの変化を考慮しなくてはいけない。前に書いた青木淳さんのJIN'S本社はその辺がうまく考えられている。
jin's

今回の記事は論文の草稿の草稿でした。では

mossya