“かわいい建築”の薄気味悪さ
この間ツイッターでキュレーターの長谷川祐子さんの呟きが流れてきた。
妹島さんと石上さんの建築について書いていて、かわいい、という言葉の定義を考えました。カワイイではなく、この言葉をほりさげていくと何かに到達しそうな言葉だと。またここでひっかかっていると前に進めない・・
http://twitter.com/YukoHasegawa/status/34619455325605888
かわいい建築ってのは建築学生なら聞けば「ああいうタイプのやつか」ってのが分かると思うんだけど。SANAAとか妹島さんとか石上純也さん中山英之さん大西麻貴さんみたいな、ぺらぺら人間+白+植物+ぽわわ〜、な感じのドローイングを特徴とする一派だよね。もちろん厳密にはそれぞれ違うけど。
このタイプの設計は実際大学にいて思うけどかなり流行してる。僕が入学した当時2005年あたりはまだそんなにフェータルな状況ではなかったけど、2、3年前をピークにして今でも根強い影響力があるように思う。
かわいいパラダイムなるシンポが行われてて、本も出版されてるんだけど読んでない。
かわいいパラダイム http://www.ozone.co.jp/business/design_report/bk/010/index.html
カワイイパラダイム2 http://www.ozone.co.jp/business/design_report/bk/013/index.html
まあこれを読む感じだといつも自分が言ってることをかわいいの文脈に乗せて言い換えただけような感じでもあるけど、大西麻貴さんの
「少女/老婆、そして温室/廃墟のような空間がカワイイ」
っていうのはかなり鋭いところを突いてるんじゃないかと思う。以前僕は大西さんの作品を“切羽詰った感じ”と表現したけど、この感じが大西さんの言うかわいい建築のことなのかもしれない。
かわいい建築の草分けは明らかに妹島和世さんなんだけど、もっと遡るとすればそれは伊東豊雄さんの「東京遊牧少女の包(パオ)」(1985)だと思う。リンク先にある写真のモデルは妹島さんらしい。街に出れば何でも揃うという都市において、女の子が情報を集めておしゃれをするための最低限の家具だけがパオの中にしつらえられている。これは今でいうネカフェ難民とかハイテクホームレスみたいな生活だといえるんだけど、かわいさと同時になんというか、つらさというかやるせなさというか、グロテスクな感じというかそんな背反する感情をわき起こすものになっていると思う。妹島さんをディスってるわけじゃないよ。
大西さんの言葉や、東京遊牧少女の包で喚起されるイメージは、やなぎみわの世界観に近いようにも思える。少女と老婆のイメージ。かわいい建築で多用される存在感の強いカーテンはやなぎみわのテントの様でもあるし、パオっていうのもまさにテント。ひらひらしたカーテンは少女のイメージに繋がるけど同時に隠された生活の怪しさを増長させるように思う。
あとはスケールの問題がある。かわいい建築はかわいいドローイングをそのまま実空間に立ち上げたようなものを目指しているけど、実際にそれが馬鹿でかい建築として現れたらかわいいのかどうなのかと。本城直季風の写真で無理やりかわいく撮っちゃったりしてね。
ともあれ、いま“かわいい建築”と呼ばれているものには個人的になんだか気味の悪いものを感じてしまうなあーと。ツイッターではこれを一言で“ロリババァ”って表現したんだけど。あながち感覚からずれてない気がする。
以下は戯言。
ここまで読んでくれた暇人さんなら今期のアニメ「魔法少女まどか☆マギカ」は見てるよね!ほむらちゃんかわいいよほむらちゃん。ほむほむしたいよ〜ほむほむううう〜
まどかマギカもここで言うかわいい建築的な世界観だと思うわけよ。切羽詰った感じ。二次元だとかわいい建築のドローイング然り、純粋なかわいさってのを表現できるんはずなんだよね。でもここではあえて深層に恐ろしさを含ませた内容になってるっていう。
かなり面白いアニメなので見てない人にはおすすめ。
mossya