ハイブリットな団地住まいのエレベーター係@mossya

一番新しい思想地図っていう本「想像力」ってテーマだけど、そこの中で宇野常寛さんの言うハイブリッドという概念、これの面白さ、強さ、そういうものに僕は共感している。ぜひ読んでみてほしい。僕の1年前の卒業設計もそんなコンセプトでやったつもりだった。一応建築を勉強しているのでこのように考えてしまうのだが、建築においては何をハイブリッドにしたら面白いのかと言ったらそれはやっぱり形態でも設備でも構造でもなく、「機能」だろう。


レム・コールハースは錯乱のニューヨークで、ダウンタウン・アスレチック・クラブを取り上げ分裂症的であると評している。この建物はエレベーターで貫かれたフロア間でスポーツジム、ゴルフコース、あるいはダンスフロアといった機能を併せ持つ。
“フロアからフロアへの象徴体系(シンボリズム)の浸透は起こらない。実際、主題ごとに平面を分裂症的に配置するというやり方には、ロボトミーによって自律性を獲得した摩天楼の内部を計画するための建築戦略が含まれている。それが、垂直分裂の手法であり、言い換えるならフロア同士の意図的な非関連性を組織的に活用する方法である。”と。ロボトミーというのは前頭葉の切除、“感情と思考過程の分離”を意味する。ここでは建築内部の容積(床面積)の増大によるファサードと内部機能の乖離を肯定するためのいわゆる開き直りのことであるらしい。
で、ダウンタウン・アスレチック・クラブではランダムに上下させられるエレベーター係だけがそれらの垂直分裂した狂ったフロア間を統合…ではなく、何だろう、分裂したまま共存させうる、というか分裂していることを黙認しうる、そんな存在なのだ。と僕は読んだ。着替えて、ゴルフして、泳いで、踊って、ニャンニャンして。客にとっては合理的でかつ分裂的なフロア間の移動も、エレベーター係にとっては全くの荒唐無稽なシークエンスを構成する一部分でしかないっていう。ヘヴンの話につなげるとしたらエレベーター係ってのは百瀬的な存在かもしれない。メタな思考とベタな振舞いって意味では。


あともう一つリンクするのがある。正月実家で読んだ新聞にアーティストの束芋さんについての記事が載ってたんだけど。それは横浜美術館で開かれている「断面の世代」展に関するものだった。そこで載せられていた図版に団地の断面図を描いたものがあって、今調べたら「団地層」というタイトルであるらしい。ネットにも記事あった(http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201001050123.html)。
この作品はやる気無いような、いわゆる「やってみた」的なノリを感じさせるようでいて、同時になんだか強い訴求力があるように思う。ぬうっと迫ってくる感じ。団地の断面を露出させるというのはさっきの例で言えばエレベーター係り的な視点を鑑賞者に提示するものであるとも取れる。でもこの作品で描かれているのはダウンタウン・アスレチック・クラブではなく、団塊ジュニアが暮らす団地である。
束芋さんいわく、“団塊世代は、太巻きに例えるとキュウリやカンピョウという個性がノリや米でまとまり、目標に向かって動く。それに対し私たちは一人で全部を持っている感じがあるが、ただの断面で厚みがない。あくまでも個から考えてゆく”“断面の世代は、団地の部屋という同じ形のものに入れてやっと分かる程度の個性に執着しているのではないかと思って。それに、仕事や将来を考えても、いつこの地面が崩れ落ちるかも分からない”と。
これは非常に絶望的なことに思えた。つまりこういうことではないだろうか。私たちはみんなメタな視点(=断面)には意識的だけど、それは別に意味ないよね、ここで言うメタ視点は結局自分(=太巻きの断面)を構成している“ネタ”を確認することでしかないわけだからね、と。過剰な自分探しとか自己分析が現代人の解離性同一性障害を増加させてるとかって話をどこかで聞いたのを思い出した。太巻きのネタ=キャラだからね。自分はこんなキャラとこんなキャラを持っていて、こんないい所があって、こんな欠点がある…なんて考えまくってたらおかしくなるのは当たり前だよね。…だから現代人はだれもがエレベーター係になるほかないのだ。百瀬的な。そうでなければ売れっ子芸人とか。二ノ宮的な。ああ、百瀬を批判できない自分が憎い!前回のヘヴンの記事でも本当はもっとコジマを礼讃したかったんだけど…。いや僕はもうコジマ万歳なんだけどね。まあいいや。
ダウンタウンアスレチッククラブはロボトミーによって、内部の分裂症的な狂気を平凡なファサード太巻きにした。これは団塊世代的である。そんな建物から生まれたエレベーター係。つまり団塊ジュニア束芋さんは彼らが住む団地の断面をスパッと切って鑑賞者に提示する。で、鑑賞者は、ああ、似たり寄ったりだな、と思う。そうしているうちに家具やら何やらがだーッと雪崩れてしまって・・・・。これは救いがあるタイプのアートではない…のかな。分からん。
というか最初は建築の機能のハイブリッドについて書こうと思ってたんだけど変な流れになったし実際の作品も見ずに妄想だけで書いてるからこれはもうどうしようもない電波記事になってるな。ああ…ハイブリッドに話を戻して〆るとすればダウンタウン・アスレチック・クラブはハイブリッドだ、ということ。で、今建築でハイブリッドをやってくことはできるのか?と。なんか出来そうだなーと思って書いてたんだけどこの記事の結論的には難しい、ということかねえ。個人がもうすでにハイブリッドである、と。だからといって建築でそれをやる意味が無くなってしまったとは言えないけども。わかんね。おわり。
展覧会は会期も長いから実際行って作品見たいな。横浜美術館入ったことないし。


ダウンタウンアスレチッククラブ断面図。錯乱のニューヨーク文庫版より。階ごとに階高が変わっており機能もばらばら。


束芋「団地層」2009年 映像インスタレーション。画像はこちらから転載。このあと家具やら何やらがだーっと雪崩落ちるらしい。


束芋さんのインタビュー

トップ画変わったね!いつの間にか。このデザインはまさに太巻きの海苔だな。

NHKブックス別巻 思想地図 vol.4 特集・想像力

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錯乱のニューヨーク (ちくま学芸文庫)

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